レビュー(ご感想)

2018-01-28

皆様から寄せられたレビュー(ご感想)です。
随時掲載いたしますので、内容についてだけでなく、表紙やイラストについても
ぜひ、ご感想をお寄せください。
※ご感想はこちらからお願いします。

レビュー1  レビュー2~5  レビュー6~7

      

本書にある4つの「ネス」を参考に研鑽したい OS氏(40代女性)

 戦後の混迷期から約40年、第一線でホテルマンとしてご活躍された経験、哲学が記された貴重な本を読了いたしました。
 ボリュームがあり驚きましたが、加藤先生の見聞の広さ、ウィットに富んだお人柄が表れていて楽しく拝読できました。
 特にお若い頃の修業時代の話しはワクワクと読み進められましたが、同時に戦後、高度成長期であった時代に考えが及ぶと、現在の日本ブランドが存在するのは敗戦国へ訪れる外国人にとっての日本の印象を左右する玄関としてご尽力下さった賜物だと有難く思いました。
 耳の痛いお話もありますが、全体的に暖かい後進へのエールだとも感じました。
 別の業界に身を置く私ですが、本書にある4つの「ネス」を参考に自身のホスピタリティを高められるよう研鑽を積んで参りたいと思います。
 また加藤先生の新しい著書を楽しみにお待ち申し上げております。

小生の知る、現役時代の加藤先生

元日本ベッド製造株式会社大阪営業所所長 郷之丸英教 2016年5月20日対談

~出会いは40年前、南海電鉄本社で~
 小生が初めて加藤先生にご挨拶したのは今から40年近く前です。
 東京本社(日本ベッド製造株式会社)から販売促進室の室長が来阪した時、「郷之丸に紹介したい人が居る」と、いきなり南海電鉄本社に連れて行かれ、お会いしたのが当時南海グループの観光事業を統括していた加藤部長でした。
 予告なしに加藤部長を紹介した室長は、さも旧知の親しい間柄といった雰囲気で、圧倒されたのをよく覚えております。何のことはない、室長は加藤先生のフェアモント時代からの関係で、いずれもKEIO(慶応大学の略称としてお許しください)に学んだ同窓でもありました。
 その後、加藤先生には南海グループのホテルはむろん、新規のホテル物件についての情報にもご配慮をいただき、大変お世話になって、今日に至っております。
 小生が加藤先生に一介の営業マンとして初めて商談に臨んだ時の経験を一つだけ報告させていただきます。

~加藤先生のホンモノを見抜く眼と真摯な取り組み~
 それはホリディイン南海大阪の開業準備室でのことです。
 すでに加藤先生は専務として開業準備で大忙しの時でした。我々は準備室併設のモデルルームにベッド見本(A、B、Cの3タイプ)を搬入、プレゼンしました。それぞれに特徴はあったのですが、どれも当時用意できる最高の詰め物を使用して提案しました。
 中でもAタイプは工場長が直々の力の入れようで作ったものということで、東京本社からプレゼンに臨んだKEIO(アメフット)出身のコントラクト担当常務はAタイプについてその特徴、しっとりした硬さ云々を一生懸命説明しました。およそ小生の出る幕などなく、加藤専務はスタッフ全員とその3タイプの見本を試し、検討しました。
 Aタイプが一番良いはずなのに、加藤専務はCタイプが良さそうだと評価し、他のスタッフの方もCが良いという展開になりました。
 慌てたのは担当常務で、早速工場に問い合わせました。すると、加藤専務の指摘どおり、Cタイプが当時、最高の仕様のベッドだったのです。工場での最終段階で布地を間違えて張って、そのまま発送したのが原因でした。その時の常務の慌てようが今でもはっきり目に浮かびます。むろんその後、受注、納入にはベストな商品を納品したのは言うまでもありません。
 ベッドの製造について素人(失礼)とは言え、わずかな微妙な感覚を見抜いた加藤先生の真摯な取り組みがよくわかる一例です。

~人任せにせず、ポリシーを貫ぬく加藤先生~
 著書にも表れているように加藤先生は可能な限り自分で確認し、納得しない限り他には薦めません。そして、マーチャンダイジングするにはそれだけ周辺の情報を自分のものにしていないとならないし、そうでなければベストなコンフォータブルホテルをお客様に提供できない、という厳しいポリシーを持っているということがよくわかります。
 加藤先生にはこの事件の後も幾度となく接客についてのマニュアルを教えていただきました。北の新地に役員と、または二人相対でお仕事したときの、含蓄のある酒場での接客マナー、店側(ママ)のマナー等、著書に加えていただきたい見識の一端を次の機会にぜひ披露したいと思います。

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客商売では「清潔」が最重要ということに共感 O氏(60代男性)

『店の雰囲気も、ネタも、技術も良く、満足できる店だが、目の前で握っていた職人が客の前から消え、しばらく後、もどってきて、そのまま再び寿司を握る。これはどうだろう?
客は、トイレかな?とも思う。清潔感・クリーン感覚からすれば、職人が何をしていようが、まず客の前で(再び)手を洗うべきである。』(本書P180[客商売のポイント4点]より)
これは、本書の一説である。
この場合の手を洗うは、ほんらい、寿司職人の基本のキだろう。科学的な衛生や清潔度をいうのではなく、人の心理・清潔感であり、美味しく食べてもらうための常道といえる。
さらに、同様の意味から「自分の首から上を触ってはいけない」がある。くせで、つい鼻をさわったり額をぬぐったりする職人がけっこういる。
論外ながら、主人一人が寿司を握り勘定もして金を触り、そのあと手も洗わず、ふたたべ握る店をある。
いかなるクラスの寿司屋にしても、客の前で清潔に疑念や不安を抱かせる行為はご法度。
そんなイロハもできない店は、私も薦めたくない。
これは店の判断材料のトップにあげたい。
最近、オープンキッチン形式の居酒屋や割烹が急増しているので、特に気になっている。

      

抱き枕の由縁など内容が幅広く、たいへん勉強になる O氏(男性)

実は私、もう10年くらい抱いてます。スーパーで売ってるイルカ(Sの字)のような形をしたものです。これが私の安眠法です。
(どこか子供みたいでチョット恥ずかしい)
本の中に、昔はどこのホテルにも抱き枕があった、と書かれています。(本書P65[かつてどのホテルにもあった「抱き枕」はどこへ?]より)
今では、どこのホテルにも、ではないですが、円筒形の枕が置いてある宿泊施設はけっこうあるようです。
東南アジアでは、よく使われているとか。熱いので風を通すためでしょう。
この本『骨の髄までホテルマン』は、接客(金融、サービスなどを含め)に絡む仕事の方、グローバル・国際化、食、英語に興味のある方にとって、たいへん勉強になると思います。

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興味深い「右脳6割、左脳4割」の話 O氏(70代女性)

加藤さんのご本、思ったより分厚いのでちょっとびっくり。
まだ読み始めですが、とても気にいっています。
いつか加藤さんにお会いできればと思います。
私は同じころアメリカにいきましたので、社会背景もよく判り、私の好きな格言・モットーも記述されています。
私は左脳30%、右脳70%位の性格?のように思います。(本書P43[一輪のバラが意味するもの~右脳:6割、左脳:4割]より)
ちなみに今の職場のリーダーは右脳的発想なし、能率、能率と無駄な言葉の排除を求められて、萎縮しています。
それから、イラストはとてもエレガントだと思います。

オーナーの思いがわかった S氏(フェヤーモントOB 男性)

「骨の髄までホテルマン」の本をワクワクどきどきしながら楽しく読ませてもらいました。不思議なことに、加藤さんがいらした時代は昭和28年~43年、私が居ましたのは昭和53年~56年と随分かけ離れているはずが、それを全く感じませんでした。
というよりも、私がいた時代と全く同じような空気を感じました。
加藤さんが営業支配人としてスタートした日、小坂オーナーが机を穂織り出した話すごくよく分かります。 私が居た時代もまさにそんな感じでした。(笑)
そして、加藤さんもそうですが、私もずい分、小坂オーナーに可愛がってもらいました。 (中略)
今回、加藤さんの本を読ませていただき、小坂オーナーの「思い」がいかなるものであったかが、本当の意味でわかった気がしました。 ありがとうございます。
私はホテルマンになってもうすぐ40年になります。
それがこの歳になってやっと分かったので遅すぎるのかもしれません。
でもオーナーの気持ちが理解できて本当に良かったと思います。
それに気づかせてくれた加藤さんとの出会いに感謝します。

業界は違うが、ホテル流の接遇を勉強したい W氏(40代男性)

この前、国循で元製薬会社勤務で今はホテルマンをされている方とお話ししました。製薬会社と違って、ホテル勤務は楽しいわとおっしゃっておられました。
今の在宅医療の仕事は、接客とか接遇とかそういうところ学ぶことがないので、ホテル流の接遇を勉強したいので1冊買いますよ。

今までみたことにない世界だ M氏(80代男性)

「骨の髄までホテルマン」、横に置いて読み始めていますが、 なかなかボリュームがあり時間かかりそう。でも、今までみたこと のない世界を見せて頂いているようで視野が広がりそうです。
読んでみて、著者が楽しい人生を送ったんだなぁと思った。
嶋方さんの挿絵、さすが上手くマッチしているね。

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フェヤーモントホテルの思い出 U氏(80代男性)

フェヤーモントホテル

私は1961(昭和36)年、30才の時、向学心に燃えて(ウソです・単なる暇つぶしです)法政大学 通信教育課程 文学部 地理学科へ学士入学しました。
そして、スクーリングのために初めて上京した時、格好つけて、この「フェアーモント ホテル」に投宿しました。
当時はまだビジネスホテルというものは存在せず、ホテルと言えば帝国ホテルのような高級ホテルばかり、値段も法外に高いものでした。私はその3年前に、股関節炎のため、股関節を潰して固定するという大手術をしたため、畳の上であぐらをかいたり、正座したりが出来なくなっていましたので、西洋式の生活 に憧れ、旅行はなるべくホテルで・・・と、金も無いのに、志向していました。
それで東京ならいくつかのホテルがあるだろうと推測して、探してみたら、料金的に少しだけ安い「フェアーモント ホテル」というのがあり、それも法政大学から歩いて行ける範囲にある。「これだ!」と思って無謀にも泊まった訳です。
素晴らしい立地のホテルでした。目の前は花の名所として名高い「千鳥ヶ淵」という皇居のお濠。周囲は英国大使館をはじめ各国の大使館が並んでいるという、高級感あふれる雰囲気です。こじんまりとした小さなホテルでしたが、素敵な感じで、すっかり気に入りました。 ホテル内は外人が行き交い、日本人は、稀にしかいない。
フロントも、館内電話も最初は「Hello!」と呼びかけてくるし、料金表示も$建て、まるで外国へ行ったようでドギマギしたことでした。後で聞いてみると、何回も日本へ来ている商社マンや、日本に長期滞在している外人が宿舎として使用することが多いホテルだそうで、その当時は巨人軍の強打者だった与那嶺選手が住んでいたそうです。
法政大学の通信教育課程は、留年料さえ払えば何年でも留年させてくれるので、遊び半分で過ごしていたのですが、1974年にやっと卒業することになりました。この時の卒業式は、ホテルに近い日本武道館、2階?の父兄席で家内が見守る中無事卒業式を終えた後、私たち夫婦は、はり込んで、「フェアーモントホテル」に投宿、 フンパツしてディナーを食べて卒業を祝いました。
この頃は加藤敬三氏が在任されていた頃ではないでしょうか?
このように私にとって、思い出深い「フェアーモントホテル」も、数年前に姿を消して、マンションになってしまったということ。生成流転は世の倣いとは言え、淋しい気持ちを拭いきれません。 どうでもいいことを書きましたが、しまかたさんのメールに、懐かしい名前を見出したので、老爺の感傷までにシャリアピンステーキも思い出有りですが、それは次の機会に・・・長文お粗末さまでした。

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